2010/11/06

朝、家のそばの畑で草取りしてたら弟がやってきて。
で、ウチの田んぼが草ぼーぼーなので、朝、草刈りに行く事になった。。。

草刈り機で刈るのと、人力で刈るのとで。差は歴然。
同じ事をやるにでも方法でめちゃめちゃ結果は違くて。

でもホント、もう僕は幸せになれないかもしれない。憂鬱だ。
子供の頃からを考えても、僕は幸せになれない人生だった。
危ない挑戦なんて出来る玉でもなかった。

だからって過ぎ去った日が帰ってくるわけでもない、、、悲しいよ

新しい朝が来た憂鬱な朝だけど

今日も朝が来た。憂鬱だ。

週末中にいろいろなことを整理しよう。
週明けから具体的に動いていかなきゃ。

なんか何をやってもうまく行かない気がする。

現実は過酷。身の丈にあった幸せをつかみ育てたい。
酒はやめなくては。

とりあえず今から、家庭菜園の草取りしてくるつもり。
せめて美味しくて安全な野菜は、手作りできる幸せが僕にはある。
家庭菜園は上手に使えるように技術を身につけなくては。

ほかにも、僕が恵まれていることはいろいろあるはずだ。
なんか目の前が真っ暗でよく見えなくなっているんだけど、今まで色々頑張ってきたことはこれでもちゃんとあるんだ。

僕の今これからの頑張りが、運と縁につながり、僕と周囲の人の幸せにつながりますように!

2010/11/05

悪い夢

寝たけど、起きてしまった。再度寝れずちょっと書く。
2003年の春、あのタイミングで導火線やめてたら、一番美しかったかもしれない。

今日は、結局酒を呑んでしまった。遍路とか言うよりよっぽど禁酒のほうが意味がある。

なんだかすべてが最低でどうしようもない。

たぶん今、僕の全人生通して一番ボロボロで、これからもドンドンボロボロになっていく。

結局、準一流の学歴だけが唯一誇れるだけって感じ。しょうもないけど。
確実なものを積み重ねていかないといけない。

本当に目が覚めた感じだ。悪い夢を見ていた。

熟慮

・・・でも、どうしよう。普通にいくとお先真っ暗。
今の僕の現状に合わせた、僕が一番活かせる進路はどこだろう???
せっかく今まで10年やってきたことを活かすべきだよな。

ちょっと考える。いや、しっかり考える。この週末いっぱい考えよう。

ハローワーク

インターネットで閲覧できる分の正社員求人を、業種問わず全部みてみた。
一生働いていく仕事として考えると、色々後悔もよぎる。

元々起業したいっていう思い、つぶしが利く学部と考えての経営学部進学だったし、モラトリアムで職業決定を先送りした挙句のフワフワ起業なんちゃって路線になってしまった。

自分には良いところもあるけど、駄目なところも相当あって、、、それを仕事をしながら克服したいとか訳の分からない考え方もしてた。本来、結婚して責任をもって家族を養っていける職業につくこと、ってのが凄く重要だったのに。既に無いものねだりだ。

改めて色々仕事をみていると、なってみたかった職業もあるし、自分の適性から無理かもと思うものもある。人生が一度しかないって辛い現実・・・

税理士の資格取得につまずいて、30歳くらいになってもずーっと資格取得を頑張ってたひとがいた。でも取得できれば心強いよな。僕はこの10年、ネット系とかサーバとか、そういうのは勉強してきたけど、長い目で見て絶望的。キャリア面で本当に大失敗、、、。職に就けたら、一生懸命頑張りつつ、長い目でみて自分を高めることもしっかりやっていかなくては。

このところ何も手につかない茫然自失状態だったので、これでもマシ。

準備

久しぶりに、床屋で散髪してきた。1500円、いつもより奮発のプラージュ。

眼鏡も新調してきた。愛眼で28000円、いつもより相当奮発した。ジョンレノン風。
でもレンズが薄いヤツのせいか質の問題か焦点があう場所が凄い狭い・・・失敗したな涙。
3万も出すなんてこの10年でありえないくらいの奮発だったのに・・・涙

ともあれ気分一新。

未来に希望が持てず鬱だけど、運と縁に恵まれますように・・・

2010/11/04

皆があまりやらないコトのリスク

ごく最近まで、次はあれをやらなきゃ次はこれをやらなきゃ・・・と、導火線関連で自分に色々課題があって、それらをこなしていっており、課題が残ってたので、色々冷静に見れてなかった感じだったかもしれない。グリグリ動かせる地図を自分のスクリプトで書き、自分のスクリプトで地図を生成し、、の部分をとにかくやらなきゃと、ただただ思っていて、先日それを達成した。もう少し言えば、そのベースになる地図の描画に納得がいったのもかなり最近で、その直後くらいに、僕、ちょっとおかしくなった。グリグリ動かすのを作ったあとは、何か、色々てにつかなくなってきた感じで、、。言い訳満載かもしれないが、もう沢山だ、と思ったのかもしれない。達成感。そこから広げていけると、思いつつも冷静に考えると、やはり無駄になる感も否めない部分が相変わらずで、結局、今、立ち尽くしてるってことじゃないだろうか。

もうたぶん、僕、満足だ。もう充分だ。結局、たいしたこと出来てないケド。。。

で、思い出したことがある。僕は、中学生の頃、「リニアモーターカーの模型」を自作しようとしてた。フェライト磁石を沢山買い込んでは費やし、小学校高学年の弟にまで最初に見せてやるからと強引に出費させまでした。でも、作ることが出来なかった。それらしきものも出来たのはお粗末なもので、浮き方はダメダメ、動くかというと動かない、、、そんな有様だった。今思えば導火線もそれに似てる部分はある、さすがに今回は自分で製作費用も生活費用も稼いできたけどね・・・。

僕が結果を出せなかったのは初めてじゃない訳だ。

でも、導火線は、順調なときは僕も参加して下さった方々も、みんなが楽しめてた。それは間違いない。そこから、それを永続的に続けていく・・・必要なら色々形を変えながらでも・・・ということが出来るかどうかだった。環境はドンドン変わり、対応できなかった。技術は持ってて、色々な種類のものを作っては公開してて、それらもそれなりに使ってもらうことができていたんだけど、そこをさらに発展させて・・・みたいな形にはいかず、写真を撮りGPS位置情報つけて、、、のものも結局、撮りまくったけど意味が徐々に見出せなくなってしまった。街の写真と位置情報集めは、おそらく延べ日数にして3000時間程度はあるだろう膨大な僕の若い時間を費やした。1ヶ月毎日ということも数回あったし、仕事の休み時間にいつも1時間弱とか休日になんてことも続けたりした。

結局、僕が挑戦して失敗したのって、まだあまり普通には出来てないようなものを作ろうとして、失敗したコトだ。勉強やスポーツみたいに誰もが挑戦するようなことは、結構目立つ成績が出せる人だった。せめて、仕事としようとすることは、無難な路線を選ぶべきだったがもう遅い。挑戦して色々楽しかったこともあって、滅多に無い経験ができたのはよかった。全くの失敗じゃなかった。

あとは、ここからの後始末なのだろう。普通の幸せを得られるように、今から大きく舵を切らなければいけない。もう相当手遅れなので、どこまで幸せになれるのか、考えると鬱でしかない。今まで張り詰めて色々勉強しながら色々作ってた状態から覚めてみて、今の現実が、認識してなかったわけではないけど、あまりに過酷で、ただ呆然と立ち尽くすばかり。

もう、しばらくの間は愚痴しか書けないろう。12月までと考えていた区切りも、もう今すぐにでも後始末にかかって11月内には就職活動も結婚活動もやらなきゃヤバいだろう。どこまで頑張れるろうか。遍路やってる場合でもない。僕が今から頑張ったとき、運と縁が欲しい。祈るしかない部分なんだよな。もしも神様がいるのなら、僕のこれからを見てて欲しい。頑張っていると認めてもらえたら、運と縁を下さい。

リニアモーターカー、具体的にコースが直線コースなどと決まりつつある今のタイミングも不思議な縁なのか。これからの自分は、着実に結果を積み重ねていきたい・・・。

サーバについて

サーバについては、やっぱり一旦休止して落としたままにしておこうか・・・。納得のいくものが出来たら公開。そう思ってた半年みたいな感じではあるんだけど・・・。

踏ん切り、、儀式

なんだかんだで、これからの人生、どうしようか?
この10年来一番深刻に考えてるかもしれない今。
またウダウダと考えている。
ハローワークのサイトで検索。いいかも・・・と思うものがある。
詳細はわからないし、採用されるかわからないし、合うかどうかもわからない。
希望は、自分の能力が活かせて居心地がよく、社からも必要とされるコト。
シンプルで、だけど難しくて。縁、見つかるだろうか。
恋愛もそう、、縁、みつかるろうか。

ここ2回、仕事に就いたら、何かあっても頑張ってそこで働いた。早々に辞めなかったことで色々勉強できたこともある。でも、今、振り返って思うのは、やっぱり合わないとか無理なら辞めた方が自分にとっても組織にとってもよいってこと。縁。

そして、僕、結局この10年続けてきたことに一定の区切りをつけるならば、儀式的なことをしたほうがいいのかもと思ったり。成人式、結婚式のように、普通に生きていて迎える儀式もあるけれど、僕みたいに続けたコトへの執着があるものについては、儀式をもって区切りをつけないと、結局またなしくずしになったりすることもあるような気がする。

危うくも、10年続けたことへの終止符といっても、完全に辞めるでなしに、WEBで本当の意味で趣味的になら続けようとか思っている自分もいるので、区切ってまっとうに生きること前提に立ち返るためにも、何か、儀礼がいるような、、、。今までの僕に対して労いと変化を約束し、これまでお世話になった方々へ感謝するというか。

今さっき先日亡くなった祖父のアルバムを見た。今ある中での一番最後のページ、僕の小さい頃、2才くらいだろうか、の誕生日に祖父だけがウチの家に来てる感じでの写真4枚だった。祖父の僕に対する印象って最終的に良いものではなかったろうな。僕も孝行というと少し違うけど、安心させてあげられる孫ではなかったことが申し訳ない。

今後のこと

今SSDを買いに行ってきたんだけど、値段が全然落ちてなくてやめてきた。
久しぶりに外出したんだけど、今日はものすごい晴天で日差しが強かった。

考えてみれば、既にあるメイン機をそのまま公開しちゃえばSSD鯖の完成。開発作業も直結でできて、割とPCを起動してる訳だから電力消費の集約にもなる。うし、それでいこう。あ・・・でも結構LINUXデスクトップは不安定で再起動ちょくちょくしてるんだよな、、、。この2ヶ月の方針でもって、そういう場合は一時的に落としても、という運用でもよいか、、、。・・・うむ・・・。

そして自分の今後とか。親友や親兄弟と関係が冷え込んで以来、相談できず溜め込んでばかりいた。思えば2004〜5年頃以降くらいは全部抱え込んで悪化は無視みたいな状況が絶望にむけての歯車になってた。ここ数日、母に話し相手してもらい色々頭の中が整理できてきたかもしれない。こうやってBLOGにも思いのたけを書くことで、整理できてる。その悪化は、僕自身の取り組んでることを取り巻く環境の変化とも重なって、致命的なところまできてしまった。

色々考えると鬱だけど、道はゼロじゃないだろう。冷静にできることを考える。遍路は、一段落して就職活動する前に一度やろうかなと今は思い始めてる。

やっぱりあと2ヶ月頑張ろう

なんかキモチが揺れているけど、やっぱり12月いっぱい、今年いっぱいまで頑張ろう。ちゃんと全部やりきってから区切りをつけよう。撤退するならして、WEBだけで続けるなら続けて、そんな感じをちゃんと筋道つくようにしよう。そんなあと2ヶ月にしよう。頑張ろう自分。逃げるな自分。

まずは10月末にUPS不調による電源トラブルでサーバが落ちたまま放置してしまってるけどリニューアルして再開、WEBにちゃんとコンテンツをおいていこう。そして今まで満足行くような取り組みをしてこなかった不完全燃焼を改めて、ちゃんとやりきろう。今日はまず、そこからかな・・・
昨日ふと思い立って遍路・・・とか言い出した自分だけど、やっぱり逃げ。
よくよく考えても今そんなことしてる場合じゃない。
3月からフルで自分の時間を持って色々やりはじめ、12月までって決めてる。

あと2ヶ月弱、やり残したものが無いようにしないと、またズルズル・グズグズすると思う。ここ数日風呂に入らず悶々してて妙な逃げに走ったのかも、、、。人には相談すべきものだし、思いつきで動くのもマズくて考えなきゃなんだよな。実は導火線も、そのベースにある紙媒体を、っていうことは具体的にやってたんだけど、あの形自体は直前にふと思いついてスグに行動したものだった。もちろんすぐの機転でうまくいくこともあって、結果が出なかったからともいえるんだろうけど、、、うんそうだよな。、、、やり方は様々、結果が出せるかどうかだ。結果が無理なら退却の仕方も重要で、退却が難しくて滅ぶことは歴史が証明してるんだろうし。

ウジウジとか止めろよな自分、、、自信はないけどなんとかしなくちゃ

〜〜〜

でもやっぱりまた考えて、いくべきな感じがする。

実は昨日、母と話して、色々考えて教習所で免許をとって(法改正で125cc用のが新にできててそれで自分は充分だし安い)バイクで遍路にまわろうかと思ってると言ったら、反対されて。バイク駄目なら歩きで行こうかとも思ってる、と言ったら、なら歩きで行っておいで、と言われ。事故った場合のこと。僕も分かるし、そも遍路とか言い出してる自分鬱なので、やめようやっぱりとか昨日から今日にかけ思ったのだけど。実は現実問題、リスクが両方あって、バイクだと事故のリスク(でも免許取得とまわっても1ヶ月・手元に免許と戦友のバイクが残る)、歩き遍路だと今からだと12月下旬下手したら来年までかかる。要はどっちでもガチで死ぬ可能性があるみたいなところで。でもこのタイミングで沸々そう思ってる自分は何かの縁かもとか思ったり。

今日、早朝、起きて、また寝てその後の寝床でまた目が覚めてからウトウトしてるとき思ったんだけど、ウチのご先祖さまのお墓って、259号線そばで道路が見える、、259っていえば「2じ5ご9く=地獄」、、、高師緑地公園の脇においやられたような立地。何かの呪縛があるんじゃないかとか朝ふと思ったり。遍路に回ってご先祖さま(もっといえばあの墓地の方々みんな)の呪縛のようなものがあるとしたらそれを祈りたいみたいな気分とか。何かのせいにして逃げたいみたいなのもあるろうが。それで今考えてて、でもお金をだしてお祓いを受けるっていうのも方法でありなのかなとか思い直したり。それで遍路やめようかとも思ったんだけど。でも、今夏おかしくなったとき遍路に向け歩こうとかしてた僕がいたりした経緯。そんなことがあったあと降って沸いたようなまとまったお金、以前死んでておかしくなかった事故における保険金の算定の見直しがされて払い戻しで大きな額もらった。これは遍路にいけということだったのかもしれず。時期もちょうど夏の終わり10月はじめもっといえば9月末から行ける状態だった。行ってたら今頃半分以上まわったところ、あるいは終わる頃だったろう。そんなタイミング・・・。そう、ちょうど今頃に終わってたかもしれない。けどこの10月で地図のスクリプトが念願のがようやく完成してたりもする。これは何かの罠だろうか?試されているのだろうか?そうとも考えることできるんだよな。

で、思ったのだけど、12月まで頑張ってみて、駄目なら1月から遍路旅に出て2月末頃までに結願して帰ってきて、就職活動して、4月からマトモな勤め人・・・みたいな流れもありかもしれない。フワフワしてるよなでも今の僕はどうなんだろう?
昨日、母を巻き添えに夜遅くまで話してたんだけど、今起きてトイレ。
以前遍路に行ったときの納経帳を取り出してみてみてる。
色々思うところがある。
ことごとく色々うまくいかない気がする。
何か、やっぱり悪霊退散的な願をかけにいく必要が僕にはあるんじゃなかろうか?

・・・そして今、改めて納経帳みてみた。ひととおり。
既に味わい深い。一度で充分じゃないか?と思えた。まずは充分。人生に重なるような。
色々な気づきもあったり、思えばありあまる色々が詰まった感じ。

今の自分はもっと他に今すべきことがあるんだよ、、

2010/11/03

・・・結局でも遍路とかやってる場合じゃない。逃げてる場合じゃないよ。

遍路なんて、人生を真面目に一生懸命生きるために格闘してる人には必要の無いただのお遊びだと思う。余裕のあるひとのお遊びなんだ。もしくは職業的な必要があるひと、あるいは他に道がなくてというひともいるだろうて、などは分かってる。僕は逃げだったりして遍路してこれば何かが見つかるんじゃないかというスガリなんてしてる場合じゃない、、反面分かってるけどねなんかヤル気がもう出てこなくて閉塞という。せめて何か動かなきゃという。

・・・何やってるんだろうな 寝る 今日も薄く生きてしまった

根本的に変えないともう駄目だ
ハローワークのサイトで、PHPの開発が出来る場合でどんな仕事あるかなって見ると、、、やっぱり大した技術ではないのだな、、そんなに変わらないような感じかも、、、。でも誰もが出来るわけじゃなく僕も仕事で通じるレベルか不明なもののゼロじゃないのでやっぱりあたってみるうちのひとつかな、、、それとも先に不安のある職種はやっぱり避けるべきろうか、、、
バイクで遍路道をまわることを考えた。
回り終えたら、共に走ったバイクが手元に残る。
それって素敵なことじゃないか?
なんかそう思えてきた。

以前まわった遍路のことを今さっき思い出してみて、色々あったけど、手元に残ったのはそういった想い出のほかは、納経帳くらいだ。それはもちろんそういうものなんだけど、、、もしこの先も頑張って生きていくとして、今甘えかもしれないけど辛くて、この状況に悩んで行ってみた遍路を共に走ったバイクって、心強い自分のお守りになってくれそうだ。安全祈願にもなりそうな気がするし、、、。自転車でまわったけど、その自転車は限界にきて壊れてしまった。バイクなら1400kmの旅なんて平気なことだろう。大切にすれば10年20年乗ることもできるだろう。

どうせならやっぱり100cc、普通自動二輪免許をとって、、、ってのが良いような気もする。自動車学校に通いながら取り寄せて・・・免許は最も速くて大型自動二輪なら14日くらいでとれるとのこと。よくもわるくも時間の自由は今全然利くし、、、。かかって3週間か・・・。その時間でバイクも注文と整備はできるだろう、、、。遅れた場合で11月末〜スタート、12月中旬までに回りきる感じか。でも・・・今地図みながら自転車経験もふまえて考えると相当駆け足なのが10日で回るコースだな、、、。

四国八十八箇所・お遍路の旅

考えてみると、自分が自転車で遍路したときのこと、電子的なものに書いてない。というか、紙にも書いた覚えが無い、、、。やっぱりもったいないような気がする。というか一度振り返ってみようかな。

■四国へ向かう道:::まず、四国へいくのにも自転車で行った。早朝4時過ぎ頃だろうか早くに出て、一泊目が関ヶ原だった。山あいで立派な高速道路が近くに通ってた覚えがある。寝場所をみつけたのが日が相当暮れてから。もう全般的にもあまり覚えてないのだけど、そう、たしか公園とかだった気がする。2日目大阪に向かう。コンビニのひとが関西弁になったのが感動的だった。歩行者の道を原付バイクが何台も走った道があって渋滞とはいえそこまでやるのかとびっくりした。明石からフェリーに乗ろうとしたが自転車は乗せられないと言われ高速バスで渡ることに。高速バスも本来駄目だが特別にという感じで乗せてもらった。・・・いや待てよ・・・フェリーは渡れたのかな?淡路島は自転車で走ったような記憶もある・・・徳島に渡るときに高速じゃなければとなったのだっけ・・・記憶がもう遠い、、20才の頃のことなのに。ああそうだ、うん年齢はハタチだったのだ。また、そういえば、その道程で早くもパンクして修理したような記憶がちょっと蘇ってきた。パンクは他ではどうだったろう・・・基本大丈夫だったような。

■四国に入ってから:::坂東の駅付近の様子、なんか今も覚えてる風景。たぶんそうだと思うタクシー乗り場があったり。そして・・・たぶん2日目の野宿が坂東の無人駅、坂東だったのか自信がもう無いけど、駅での野宿が最初の四国での野宿だった覚えがある。一番札所の霊山寺は賑わっていた覚えがある。これから始まるのだなという場所。売店で納経帳を購入。事前知識がなく納札とか買わなかったため後日40番の寺付近とかだったろうか札が欲しいとおっしゃった方がいてその時初めて納札のことを耳にした状態、、旅の終わったあとになってそれが何だったのか分かった次第だったり。その方は加工乳を1L、LOVE牛乳を接待して下さったのだけれど、その納め札が欲しいとか無いなら住所を書いた紙が欲しいみたいな感じのことを言われて動じてしまい気持ちが悪くて実はその頂き物を流して捨ててしまったバチあたりをした。・・・ああこういうことが後々、僕が愛に恵まれない人生にもつながってるのかな、、、。

■最初は楽々だった:::ちょっと脱線した。ともかく、無事四国に入って、納経帳を得てお経を唱えたりの作法を聞いてやってみて、、始まった初日。寺の間はとても近くて、トントン拍子に進んで行った。途中分かりにくい場所の寺とかあったり、アップダウンが辛い道があったり最初から色々洗礼を受ける。駐車場に車をとめて回る方々も多くて、自転車の自分は人力だからと今思えば意味の無い優越感を感じ始めていたり。バイクで回ってる方にもこの最初の日とかに話した気がする。その方は前回自転車で回ったことのあるかただった。

■営業時間の衝撃:::納経には時間があって、時間外だと納経してもらえなかったのは衝撃だった。その分待つことになったりする。納経してもらわなければ早朝や深夜も含めてまわることが出来るので、その分早く回れるのだなとも思った。(・・・そうかそういう方法なら20日で徒歩でというのも不可能ではないのかな・・・)でもお坊さんの態度がすごく横柄で腹立たしかったのを覚えている。外で開始時間まで待たされている人が10〜20人くらいとかだった記憶。でもそういうすべてのことが色々な気づきにつながるのだから面白い。

■観光気分:::温浴施設に入ってゆっくり。徐々に臭くなってコンビニに入るのが恥ずかしく後ろめたかったりも最初の慣れない頃ならでは、、。

■険しい山道:::最初に直面する山奥の辛さは焼山寺だったと思う。道があってるか不安。山の高さも700mとか。山の洗礼を受ける。やめてかえろう、やめて帰ろう、、、そういう感じが出てきて、でも徐々にそういう気持ちが薄れていく。多くの人はここまで来ずにやめてしまったりもするよと話してくれた中年女性がいたりした。彼女も途中でやめてしまい回ってないそうだった。そして寺の間が80kmを超える距離を経て室戸岬。達成感があったような気がする。室戸岬にはそばに3つの寺・・・全くよくしたもので、そうなっていることで頑張れるところがある。土佐はまさに修行の道場で、寺の間がかなり開いてる。幕末の英雄の史跡とかがあって観光したり。龍馬さんの資料館とか岩崎弥太郎生家とかそういうのをちょこちょこ見てみたり。高知の路面電車も豊橋同様ので感動した。観光地みたいなのが色々あって、長めの橋とそこから見える脇の山だったろうかなどが綺麗だった覚えがある。たしか高知ではじめてカプセルホテルに泊まったような覚え。

■見つけにくい寺:::寺の中には見つけにくい分かりにくい場所のものもあって、竹林寺はいったりきたりちょっと手こずった覚えがある。見つけたときは嬉しかった。

■危なかった記憶こわかった記憶:::青龍寺から岩本寺の間の道は、立派な道路ながら怖かった道があった記憶がある。夜間通ったんだっけ、、、アップダウンだったろうか、、嫌な感じを覚えてる。

■寺に1日ひとつ辿り着けない:::自転車だったので最低でも1寺は回ることが出来ていたりして、納経の時間もあるのでそれを勘案して夜もちょっと走るみたいな調整もしてたりした記憶があるんだけど、ひとつもお参りできないことがある。37岩本寺から足摺岬の38金剛福寺はそんなだった記憶。途中四万十川という知った名前の川があってお土産を買ったりみたいな観光した覚えもある。ていうか相当色々忘却の彼方の自分が怖い。。。記憶では金剛福寺に行く途中にトンネルが何度かあって、ちょっと自転車では怖かった。徒歩だったらその道だと危ないかもしれない。遍路道が他にあればそちらのほうが、、しかしながらもし国道のほうが短くいけるなら魅力なのだけど。宇和島は高校野球のイメージでそこを通るのに感動した覚えが。岩本寺の近くで野宿したときは学校のグラウンドだった記憶。だだっぴろくて本当に真っ暗で何の音もしなくて、初めて野宿が「怖い」と感じたのがそこだったような記憶。人生通して野宿は200回はやってると思うけど、怖いと感じることは珍しい。人が近くに居ることの幸せを感じたんだった。四万十付近とかは川に渡されたコンクリートの橋が特徴的だった記憶、車がすれちがえない感じだったような。そう、その不自然な感じは手すりがなく道を文違えば川に落ちるような橋だったことか。同じような橋を何度か渡った。

■半分:::高知を終わると半分の少し手前39寺となる。ここまでで道に覚えがあるのは・・・初日の沢山ドンドン回ったときのアップダウンの農道みたいな道、、あるいは山奥に入る川沿いの綺麗なアスファルト道、、南国風のヤシみたいなのが生えてて鯨ウォッチングできるらしい看板があったような記憶の海沿いの道、、真っ暗闇で音が無い恐怖、、最初は何度もやめて帰りたいと思ったけど、3分の1とか半分くらいを経てそういうことは思わなくなった記憶

■一緒にゆく道:::道中、同じ遍路のひとで話したりして一緒にゆくこともある。わりと最初の頃だったか、・・・15番国分寺でお参りしてベンチに一緒に座った記憶があるふたりがいて、彼らは自転車部のひとで、ひとりはロードレーサーだったかの軽いのとかで本格的、しかも道具だけでなく訓練されてて速さが凄かった。ついてくのがやっとで途中で分かれた。足摺岬への道上で、中年の男性や同年代の女性とちょっとだけ一緒だった記憶、金剛福寺付近で中年男性と一緒に休んだり話した記憶。

■公園で鍵をなくす:::野宿した公園で自転車の鍵をなくしたのは高知の終わりのあたりだった。そういえば公園で許可無く泊まるなとか言われたこともあり、この時だったろうかちょっと自信なし。鍵はスペアキーがあったのでそれで出発、のちに数百キロ行ってからのタイミングで自転車の鍵が鍵穴の上になんと乗っかっていたのをみつけてびっくり。ずっと乗ってるはずは普通はないはずで、「奇跡」みたいなのをみたのは後にも先にもこれくらいだったり。

■お接待:::半分を目前の43番を過ぎて佐田岬に行こうと寄り道した途中の八幡浜でビールをすごい飲ませていただいた。漁師の方で、近所の方からの差し入れも含め色々ご馳走いただいた。申し訳なくも酒を長く飲まない状態で沢山いただいたこともあってか夜に寝るとき離れのひとり寝ることのできる畳の部屋で布団を真ん中にどーんとひいていただいたその場所に吐いてしまった。もちろん少しも嫌な顔されず大丈夫と片付けて下さって本当に感謝感謝だった。漁師の海のすぐ脇が山の崖みたいなのがずっと続くところで、ちょっとあがったところに住んでいた方。佐田岬は長くて、途中原発があって資料館に寄ったりした。

■44大宝寺、45岩屋寺:::佐田岬のあとの寺参り、山奥ながら太くて立派で真新しくしかし交通量がほとんど無い道を通った記憶、僕の母方の祖母が行ったときの写真を見せてくれたのはこの岩屋寺だったかと。自転車遍路なせいか本当に道中楽しむ余裕みたいなのがなくて、、でも言われてみればの、上に上がる場所があってどうこう、っていうのがあったような。この付近を回ってるとき、歩き遍路の方に会って話し、夜一緒に野宿した際にはご飯を炊いてご馳走してくれた。・・・今思えば僕はそのお礼に何を返したか覚えてない。同世代で、20日で回るペースだと言っていてびっくりした。・・・しかし全道中、色々な人に会っているのに、何を話したかとかあまり覚えてないのが怖い。そも旅自体も忘却の最中にある。時々思い出して話したりしないと、色々な物事は忘れ去ってしまうのだな、、、。

■都会松山:::県庁所在地をそれぞれここまで通ってきている形で、やっぱりそれなりに大きいなと感じたんだけど、松山は中でも結構大きいと感じた。この直前くらいで、台風だったかの大雨にあってしまい、納経帳ほかが不覚にも濡れて、不思議なことに4番の寺のだけは88寺全部を通して唯一墨での手書きじゃなくスタンプで押す納経だったのだけど、それが消えてしまったのだった。

■番狂わせの寺:::普通に行くと順番を違えるような並びの寺があり、それが松山付近のそれだったようで、直前に番狂わせがあるよと教えてもらった。寺の住職の方にだったろうか、色々教えて下さったりする方もいる。フレンドリーで話好きな方も、ビジネスライクな方も、本当に様々。番狂わせは、実際行ってみるとそうなような、そうでないような感じで、結局どこにあるか手探りな感じで行くので、わりと大丈夫で、そのまま順番どおりに行った。でもこういうのって何かイワクみたいなのもあるのだろうか、順番は違えるのも時には有りだよとか、ないなとか・・・

■弱い記憶:::半分の寺を過ぎたあとはトントン拍子にいく形だけど、あまり記憶がなく、でも考えてみれば他の地区でも同じで、、、。怖かったり楽しかったり腹立たしかったり辛かったり、感情が動いたところは覚えてるけど、惰性みたいなところは記憶ないようなかんじか、、。

■自転車が壊れる:::65番三角寺を登っている途中で道から転げ落ち、自転車が曲がって壊れ乗れなくなった。実は体も危ないような落下だったけど全く無事で、しかしそこに自転車を残す訳にもいかず、お参りのあと、伊予三島駅だったと思う、駅まで自転車は下ろして駅前駐輪場にとめておいた。後ほど全部まわってからこの地までとりに戻った。途中でそんなことになるとは思いもせず、ただ迷わず歩いての遍路を続けた。次がなんと最高峰66番雲辺寺920m。結局、期せずして愛媛の最後の最後から香川の全部を歩き遍路で回ることになるのだが、道中がひたすら苦しくて記憶とかがほとんど無い。実際には色々なことを考えながら歩いていたと思う。歩き故に、途中で道路上で中年女性のグループに声をかけられて乗せてもらった部分が10kmくらいだろうかあったり。ここまででいいです、ここまででいいです、、となんか歩かないことへの罪悪感みたいなのばかり覚えてて乗せていただいた方へも、いいです、と繰り返し言ってた感じだったと思う。今思えばそういうなりゆきも楽しみ感謝すべきなのかもしれない遍路というものは。

〜〜〜 不思議ながらここで一寸筆を置いて昼食・・・書くのを再開・・・

■歩き遍路をした香川県:::期せずして歩いた香川、ホント記憶があまりない。ひたすらひとつひとつ回っていくのがやっとだった気がする。車の方に声かけられたことも、不思議な縁というか、今改めてその意味とか考えると色々思える。最後大窪寺は440mか、、山でやっぱり大変で、辿り着いたときのああ終わったんだ、っていうのはやっぱり感激だった。寺のほかお店とかあり、脇の奥のほうだろうか、何か公園のような何かがあって、そこを歩いたりの覚えがある。でも今あまりハッキリ覚えてないのはどうしたことか、やっぱり精一杯過ぎて道中に余裕がなかったのだと思う。内省的になって色々考えたような気がするが今となって思い出せないのは何とも複雑に思う、、、。88箇所回り終わり、中年の女性の方に声をかけられたか何かの縁で、お店の方だったけど、仕事終わりだから駅まで送りますよ、と親切していただいて、車で送っていただいた。途中、電車で食べなさいとお店で食べ物を買ってもたせて下さった。電車内でありがたく頂きながら道中を振り返ったような感じだった。

■遍路後のふりかえりを今してみての気づき・・・:::なんか、今思い返してみて、ほとんど覚えてないことにビックリでガッカリというか、、、。断片的にエピソードを少し覚えてるくらいだ。その道中で何を考え何を思ったか、、そのあたりは思い出せない。色々当時悩んでいたし、その悩みの中には今も解決されていない悩みもあるけれど、、結局そのときそのときの細かい色々は、あとになってまで残るもの残らないものあるのだよな。一度しかない人生の道程を思うとき、やっぱりいっぱいいっぱい過ぎるのも苦しくて寂しい。身の丈にあった道を生きていくことはとても大切なのかもしれない。道中、迷い道になることもある。気づいて無駄に時間も体力も使ってしまったように思うこともある。でもそれらひとつひとつが、その後の出会いにつながっているのもわかる。道中に何を求めるかは人それぞれだと思うけど、今改めて前の遍路のことを思うと、風景や人との出会いをひとつひとつしっかりと心に刻んで、ひとつでも良い思い出を残して来たいものだと思う。

さあ、ざっと書いてみたけど・・・ どうしようか、もし本当にまた遍路に行くとなれば、時間をそれだけ費やすことになる。・・・僕は今、本当に疲弊してて、なんかもう何もヤル気が起きないザマになってる。今年夏、僕、おかしくなったんだけど、そのとき遍路にいかなきゃ、って思って色々歩いてた。なんかの縁なのかもしれない。このままでいてもズルズル今のままなような気がするのだよね。どうしようか・・・行くにしても歩くか、バイクか、、

道具を使うか歩きか、手段だけで相当旅は変わってくる。人生もそうだけど、いっぱいいっぱいだと本当にいっぱいいっぱいになってしまって楽しめたりっていうことが弱くなる。反面そのよさ、達成感はあるのだけれど、、、。どちらも価値のあることだ。人生も身の丈に応じて生き、チェックポイントを全部回れずに死んでしまうこともあるかもしれない。今の僕なんてまさに、つまづいて普通の幸せとか難しくなってる。そんなときバイクに乗ることを考えたりしても全然良いのだろう。何をもとめ何ならできるか、出来る範囲で最大限。また、ひとりだけで行くのもよし、複数で行くのもよしだったり。どちらもまたそれぞれの良さがある。
お遍路で、リアルに自分の死装束を得る、、ということも出きるかもしれないな。
なんか、僕のこの調子だと、幸せに死ねない気がしている。
せめて、自分が死んだときに着せてもらえる衣装が選べるならば、
コレというのを持っていることはこの先の自分の安心というか支えになる気がした。
いかにも遍路してます、っていう格好に抵抗があったりもするけど、そういう捉え方だってあるよなと。それから、若くないと歩き遍路は年々難しくなるだろうし、もし伴侶を得ることができたり仕事を得て守るものができたりすれば時間も自由が利かないし。今みたいに無責任状態だから逆に歩き遍路しやすいよな。
そうか・・・遍路の装束は旅の途中で倒れ死んでもいいようにあれは死装束なのだ、、。禅宗のうちの母方の祖父は僕はしっかり記憶にはないけど旅の装束だったという。今Wikipedia読んでる。いや修行だからの服装という説もあるのだな、、
豊橋駅から坂東駅まで、8100円、約7時間。淡路島を高速バスで渡る。
道程は1400km、50日くらい。

前回若い人(といっても当時の同年齢w)が20日でいけると話してたけど特別そうだ。実際僕も自転車でそれくらいかかった途中自転車壊れ歩いたけど。あと思い出してみて実は自動車に乗せてくれた女性の団体がいらっしゃり、抵抗ありながらだいぶ10kmくらいだろうか?車で通ったことになったところもあったりする。どうなるかは本当に縁。観光的に佐田岬いくため八幡浜通ったら泊めて頂きビールを超ごちそうになり夜吐いてしまったありがたい方がいたのだけれど、遍路が珍しい地区で若い人だったから余計に親切にして下さったのだろうな、、、。こういう余裕も自転車以上の道具があるならではで、歩きとかだと無理、、自転車壊れてからは辿り着くのに必死だったな。

今は色々情報が集めやすく、、ちょっと見ると本当に色々なひと。書いてた人いたし、前回話してた方もいらしたように、結局遍路をやれるってのは時間やお金に恵まれていたりするからなのは本当にあって。そもそも、わざわざそんな無駄なことしなくても、人生そのものが修行みたいなものなのだから、わざわざやってるなんて浮かれてるというかナメてるようなところもあると言えなくもないことも分かってる。でも心の問題みたいなところがあって、、なんかやっぱ行く必要が僕にはあるような気がする、、、。贅沢だよなとおもうけれど。そして考えてみて歩き遍路がいいかなとか思ってるいま。ちょっと情報集めてみようと思う。

遍路

なんかもう、疲れて前が見えない。

ふと思った。お遍路さんにまた行ってみようかな?
原付バイクで。FXでだいぶスってしまったけどまだバイク買って旅をする程度なら残ってる。今から1ヶ月として、ちょっと季節は無謀だけど、、、寒い中暖房器具なしで生活とかも経験済。ただ高地は夏でも冷涼だったから高地での野宿はカイロとか工夫ないと難しいかもな、、、

バイクを注文して整備してもらって準備終わるまでに時間かかるけど、その間にいろいろやっておくべきこともあるからちょうどよかったりする。できれば100ccのバイクだったりするといいんだけどこの成り行きも運命じゃないのかな。二人乗りじゃなく一人乗り。でも主旨からしても同行ふたりの旅は自身はひとりのほうがあってる。

前回の遍路旅は大学3年の夏。21歳?くらい。当時の足跡を再度確かめにいく感じにもなる。前回は自転車だった。仮にも人力なので自負と偏見を持って、バスで流れ込む観光客みたいな遍路さんを白い目で見たりしてしまった。その寂しい心に対する戒めだったのか、途中の山道で自転車がこわれ、壊れた自転車を引きずりながら歩き遍路に最終的にはなって、でもあきらめずに歩き抜いた。そう、歩き抜いたんだった。結構強い人だった。今の疲れた僕に、もし苦難とか降ったらどうなるろう?途中でまた投げ出して88カ所なんて回れないろうか。でもそういうのも含めて、なんか前回の遍路は不思議なことがいろいろ起きた。もう一度、このタイミングでは、行くべきなのかもしれない。先日僕ちょっとおかしくなったんだけど、そのときも西のほうへ歩いて遍路にいかなきゃ、って意識がなぜかあったんだ。ああそうか歩いての遍路か、、、歩いてなら今日からでも行ける、どこから歩くかって話もあるよな。でも季節的に無理目だし準備もしなきゃいけないこともある。バイクがちょうどいいような気もする。万一バイクが故障などしたら、そこから歩き遍路になるかもしれない。

時々大きめの都市でカプセルホテルに泊まるなどして、ノートPCの充電してもいいかもしれない。今なぜかホットスポットY!のを契約してしかし使わずに1ヶ月たってるけど四国でも使えるろう。あるいは紙のノートにすべきかもしれない。なんか目的の喪失感というか、もう希望の光が見えない感じなんだけど、こういうときこそ遍路旅でむきあうことがいいのかもしれないな。

さあどうしよう、、、まだ思い至ったばかり、ちょっと考えてみるよ。
目が覚めた。最近小便で目が覚めたりする。寝たら寝っぱなしだったのに今まで。
なんか、もう駄目だと思ってほおって寝たんだけど、結局81円に乗るか乗らないを頂点にまた下落してる。
あれだけ逆相関だった米ドルと一緒に豪ドルが同じ数字でともに落ちてきてる。
変な感じだ。

あきらめてたんだけど、残っててびっくり、、うれしいけど、さあどうすべき、、
今般明け方までにある程度下落するなりなければどのみちどこかで見切りを付けなければならない
あきらめてた分が戻ってて本当に不思議で得した気分既に

これだけ強引な感じの上昇をして、このあとで暴落的な感じになってくれるなんてあるだろうか?
今日も一応オーストラリア関連の指標発表があるんだよな
それ次第で、きっかけにして暴落

、、、どうなるんだろう 死んだと思ったけど残ってた命って感じ
でもまっとうにいくとまた上昇してくるのが関の山だよな
うわどうしよう
でももう眠いし疲れた 寝よう

2010/11/02

僕は、人生振り返ると、なんか途中から劣等感と敗北感にさいなまれてて、一発逆転をしたくてギャンブル的な人生に走ってしまったように思う。貧乏人ほど宝くじを買うらしいけど、まさにそれで、僕はギャンブルなFXでまた凄い金額をスってしまった。あらゆる面でもう終わってる。完全にツキにも見放されてる。
なんか絶望的

両親の近しいひとに農業関連のこと知ってる人いろいろで、伝え聞くこととかを聞いた。
とてもじゃないけど営農なんて普通に無理っぽい。どんどん辞めていく

・・・もう普通に幸せとか無理そうだから、やっぱり一度目指したこの道と添い遂げるべきなのかな・・・生きる意味が見出せなくなるよ。ただでさえ一度脱線してしまうと復帰できないといわれるこの日本で、この社会状況だから、もうな、、、

あるいは、職種的にドロップアウトしてる点に向き合うなら、仕事として成り立ちうる海外の地があればそこに移住するとかってことになるのかな。仕事を3月まででやめて約半年、色々やったり考えたり、冷静に、、、決して怠けたいとか仕事したくないとかじゃなくて居場所がないというか希望が見えないとかだよな。

でもそんな中でも、山羊とかと農業的に暮らすようなのは憧れる
住み込みとかでどこか山奥にいくとか?
でも雇用されての農作業は体を悪くする的な話は結構ある感じもするし
なんか生きるのに向いてないよな。。。
そも適性にあった進路・職ってのがどれほど重要かってことだよな。もう今更。
農地を買ったり借りたりに基準あって、年間従事150日以上とか、常時従事できることとあり、昼間の仕事と兼務は無理かもとのこと・・・そうなのか・・・それで季節労働や夜間勤務との兼務か・・・

農業委員会の審査とか、色々ある、、、当然ながらそもそも先立つものも要る、小さく始めて徐々に・・・とかの選択肢は無いみたいだ、、最初からある程度の規模じゃないと始めさせてもらえず、口約束による貸借という不安定なもので借りる道はあるみたいだが農家の方との信頼関係とか、難しいところがあるみたいだ、、 やっぱり敷居は高いかも・・・・

・・・これであれば、田舎にある程度の土地つきの場所を借りてそこでまさに家庭菜園や自給自足的生活基盤をつくりつつどこかで働くとか、、、って感じじゃないと現状の僕にはハードルが高すぎるかも、、しかしそれすらぶっちゃけ自信がない。そもそも成功できる自信が無いという致命的状況、先立つものもない。疲れてるボクには選択肢なんてあるのかな・・・

駄目だ、今日こうやってみてきて、なんか無理・・・
「自家用野菜の菜園は3坪もいらないくらい」
をぉ・・・実際の農家さんの言葉、、、?ひとりの野菜を自給するのに掲示板で20坪は要るとあったのに、、、野菜だけでなく穀物も?大豆?・・・

「(なりゆきまかせで)何かが成ればいいが、何も成らずに空回りしていく」
まさにこれだったよな僕の10年

「田舎に住めるのは、もはや、アグリビジネスマンと貯蓄のある引退組だけ」
うぉ・・・ うぐ

「勤勉な生活不能農家よりは、怠惰な低所得農家の方がマシ」
きゃー

「シュミレーションがうまくいかないものは、現実でも絶対にうまくいきません」
至言・・・

「まぁ「なりゆき就農」だったからできた、というか、言い換えれば情報不足だったから「なりゆき農業」になってしまい、どうしようもない今があるわけです。」
うむ・・・

「新規就農ってプロの芸人とかミュージシャン目指すような感じと、似てるんじゃないでしょうか。 」
ちょ・・・また・・・
「就農当初はミラクルなヤル気があるが、マンネリにそのうち陥る」
・・・なるほどな、、、

そして何でもそうだ、はじまりというのはミラクル、そしてくるマンネリ

まだ始めてないから想像するけど、でも、色々工夫を延々やるのは得意、
その点を他人に褒められたことも多々、だから結構色々楽しめちゃう面も
あるような

でもホントわからないんだよね始めてみないと。
ちょっとまだ総論ばかり見てて各論に入ってない
豊橋で何をやるときいくらくらいかかるのかとか。

うむむ・・・
とりあえず、キモチが固まってきつつある感じ。
やっぱり農業やってみたい。家庭菜園的農業でもいい。
たぶん一番性に合ってる。

ただ、また失敗しそうな気もするんだよね
補助的に何か働く必要があり、それを含めてやるにしても、
収入が少なすぎて、幸せが掴めないんじゃないかって。

子供にもし恵まれることができたら、勉強は教えてあげられる自信はあるけど、
学費の捻出が厳しくて、特に大学なんてカネを出してあげられないだろうと思う。

ただ、社会不安とかがあって、本当に日本が駄目になった場合、
農業ってむしろ有利だと思われるんだけど。
もうちょっとネットを徘徊してみよう、、、
意外に失敗したひとのは読めない。当然かもだけど。
具体的なこともよくわからない。地域によって相当違うのだろうか
そうか、自営農業の方は、30分おきに違う動作の作業に移るとかの自由があるんだな
僕の経験したアルバイトの被雇用の、実際、ずーっとって感じだった気がする。
管理してるお父さんもちょくちょく動いたり、、

しかしどうすればいいのか、、 自分にそも色々な意味でもできるのか、、
そして幸せになれるのか、、、農家ってただでさえお嫁さん探し大変なんだよね?

なんか自分に向いてそうなのがひたすら辛そうなかんじ、
かといってサーバ管理とかプログラミングって、先がない感じでしょ、、、

鬱だよ、、
農業関連のほか、時々見てしまうのが、自動車関連の期間工のサイト。
今、また久しぶりに。

かわらない。

・・・情報が古い。見たことある。

時代が変わったんだ。
わかってたけどさやっぱりってかんじだ

なんか本当にどうしようもない状況で鬱だ
僕のまわり、、同じようなのが何人かいる
友人知人がそうっていうそれも含めて駄目駄目なんだけど
江戸時代における主従関係にくらべ、現代のそれは屈辱的だ、という見方、、、
すごいな、そうかもしれない。・・・ただ、競争の結果だとしても、
富を持ってるひとが依然としてその既得権を再度得る面が強く、
しかし逆転の可能性が残されているという「幻想」(いいすぎ?業種等によるろうが)で
人生を誤るひともいるかもしれない(僕は結構そんなかも)
うわビックリだ、農家は既にTPPに影響するような経営形態じゃないと、、、
反対してるのは農協だ、と、、、
低収入でもやっていけるようにある意味進化したような、、ある種の諦めとセット
なんか僕も今そうだな

豪ドル

豪ドルがまた今度は上窓を開けた・・・
米ドルとパリティ間近
利上げ関連とはいえまたこんな動くとは

なんか上にも下にも、逆に張ってしまってる自分オワッテル
内心では違う方向にいくだろうと思いながらたまたま最初逆でそのままズルズルってパターン
僕の人生もそうだもんなこの10年、なんか最後の集大成的な

利上げナイとかでまた下落とか期待するしかない

結局先日一瞬すごい高く振れた80円台に到達
すげぇその水準にまさになったよ、、、

#確認して分かった、利上げだ。・・・なんてこった馬鹿ものだよな俺・・・

ミルクって妊娠してるから出るんだな汗

山羊、ミルクを採るためには毎年妊娠させなければならず、その度に子山羊が3頭くらいできるとのこと、、、だから子山羊の特にオスはもらってほしい人もいるみたいだ、、すげぇ、、そして考えれば当たり前のことだけどミルクは妊娠してるから出るんだよな。つがいで飼ったりすれば賑やかにもなって良さそうだな。仲間ができて生活してるみたいで幸せな気分にもなれそうだ。鶏だと期間が短く卵は3年程度しか産んでくれないよな、、

そして山羊の食料は草、冬は草がなく干し草を準備しておくのだそうだ。大豆をとった枝とかいいらしい。自給を考えると、野菜づくりとの相性もバッチリだよな。よく食べ、黒くコロコロした糞をし肥料になるそうだ。素晴らしい。アルプスの少女ハイジを引き合いにだしての解説がわかりやすい、羊の番をしながらせっせと干し草を作っているのだそうだ。知っててみないと分からないよな、、、あと、塩分が必要で、岩塩を置いておくとか、飼料に混ぜるなどするそうだ。家畜も動物だもんな。ウチは犬は飼ったことあったけどドッグフードを出来合いで買ってくるだけでよくわからなかったけど、あれにも塩分がちゃんと配合されてるってことだよな。分かってないことだらけだ。本当に、、、まっとうに生きていくのに必要なことを何も知らずにきてる気がする。ふぅ、、、。

を。。山羊で毛をとれる品種もあるのか、、、すごいな衣服にもできるってか。

また別のサイトで、、山羊の世話がツラいと。。
いいことばかりでもないんだね、、
前向きに取り組める気分じゃないと、何をやっても辛いかもしれない、悪循環
この方はニワトリも覚めた感じで農業というか生活の一部として取り組んでる
最近話題のTPPは現実問題回避できないしすべきでないと農家なのに書いていたり
里山の荒廃も、マキなどの調達も不要になった世の中で、利用価値のない里山は
マツタケも生えなくなり整備は難しく自分もほとんど使ってないとおっしゃったり、、
稲作は採算があわないからやめるのは当然という現実を書いてたり。機械が高いそうだ
日本人、ある程度はプランターでも少量でもいいから自給すべきとも指摘してる

僕はもし本当にちゃんと取り組んだ場合どうなるんだろう。
なんか想像つかなくて怖い。今みたいに満身自信喪失状態だと何やっても駄目そうだけど涙

山羊の価格

自給自足にヤギがよさげで、値段見てみたら、年度により結構バラつきあった。
2万弱〜4万超くらい。基本メスが高いが、逆の場合もあり。
豊川でもセリが行われてるみたい。

ヤギは乳がとれて、飲んだりチーズなどに加工したり肉にできたりする。
たしかDASH村でもヤギアシっていうヤギがいたよなって思い出す。
(検索したらあまり出てこない(!)もう亡くなってたんだな、、、寿命は10〜15才とか)
山羊と鶏、20坪ほどの畑。
育てやすく丈夫な野菜を中心にスキルを磨いてく感じで。オクラはほんと丈夫、今年は種の自家採取に挑戦しようと残してるオクラが凄い今大きいがまだ茶色にはなってない。今年は暑い夏で普段とはちがうんだろうな色々。

調べたら、ソバは丈夫で作りやすいらしく、自家採取も、ソバの実を残しておけばよいってことでちょっと気になってる。保存の利くものって絶対必要だよね。あとは日本だと大豆って絶対自分で作れるようになったほうがいい。味噌や醤油も自分で作れる。

自分で作る難易度を書いてた人がいて、砂糖や塩は条件に恵まれないと難しいものに分類してた。それらは保存の利くものなので、やっぱ貯めておいた方がいい気がする。特に塩。究極、塩、味噌、米、があれば生きていけると言ってる人がいて、つまり絶対的には塩が必要。いまのところ5kgの専売公社のやつ4袋ほどと、中国産の業務スーパーで買った激安の塩2箱もってる。塩の必要量は水分摂取量との兼ね合いもあるが1日通常10g未満程度とのこと、つまり年間で5kgの塩が必要ってことか・・・ちょ・・・意外と必要でびっくり。。基本味噌として保存するんだろうけど、つまり塩を確保しといて味噌や醤油にするってことで、、、しかし今もってる塩で一生分くらいじゃね?とか思ってたけど意外に10年分程度か・・・。平均寿命まで生きるとしたら残りあの4倍の塩分を摂るんだな。。物々交換に使うとかしたらもっと必要だ。としても押入れに入る分くらいで充分かもしれないな。
exblogのテンプレにびっくり。
exciteのメニューバー部分までもがブログのスキンで変更され統一感が出てる。
細やかだな〜。
ブログサービスでそこまでデザイン変更できるのはじめてみた。
これって有料サービス使ってる方なのかな?
楽天/infoseekのiswebが一昨日でサービス終了しててびっくり。。
せっかくのサイトも消滅してる。
まだなくなったばかりだからgoogle検索でもhitしたんだね、、、
でも、これからそうやって、サービス終了するものってドンドン出てくるのだろうな
これまでもそうだったけど。よほどの大手でも、ものによって見切りをつけはじめてるのか。
google先生も何らかのサービスは終了させたりしていくのだろうか。
少しづつgoogle依存になってるのでちょっと困るな。。。

ってなことで、、、今日も1日がはじまってる。
先日に引き続き農業関連のことを見てる。
一応土地が若干あるので、いつかは絶対役に立つ。というか死活問題になると思う汗。
早い方がいいよなこういうのは。

とりあえずいろいろ手につかない病状態なので、少しでも価値のあることで
やろうとできることは自分にやらせたいと思うところ、、、

2010/11/01

農業の挫折率が70%との記述発見。。。
でも分かる気がする。

高原野菜の農家でも脱走者が出たりするらしい。
家庭菜園でもできなかったりするとちょっとめげる。
ただ、意外に簡単に栽培できるものもあったりするし、
自分で食べる分には手間は段違いに違い、かつ、農薬など使わずいいものが作れたり。
今年はきゅうりやゴーヤを自分で作ってみて、簡単にちゃんと作れて嬉しかった。
なんか、フワフワと妄想だけ書いてても鬱なので、今までの農経験書いてみる
経験というほど、経験してないけど

■子供の頃:祖父の畑のニンジンを抜いたのが凄い記憶に残ってる。家の前の方から親が借りた畑で作物を作ってるのを目撃したことがある。・・・つまり実際の経験とかはない感じ

■大学2年時:群馬の嬬恋村で高原野菜収穫アルバイトでレタスとキャベツの収穫や出荷関連作業、苗の植え付けなど1ヶ月経験。

■愛知に帰郷後:親の家庭菜園の手伝いで鍬で畑耕すほかなど。自分で種を買ってはじめてレタスや二十日大根をポット栽培(葉を少しづつむしって食べるとかできることが分かった)。庭の梅などのあるあたりにシソの種をまいてみたり(簡単にあちこちに生えた)。土に生ごみなど入れることやったり、釣具やさんで買ったミミズをそこへ入れてみたり。畑としてむかない感じの場所(「雛室」の南)を耕して祖父にアドバイスもらって堆肥をいれ畑としてつかえるようにしてトマトを苗から作ってみたり、オクラが手がかからず沢山収穫できること見つけたり(以来夏はオクラ作る感じへ)。バーミキュライトで水耕でレタスはじめネギなど色々試してみたり。きゅうりやゴーヤに挑戦したり。そしてそれらは種からだったり。北の日当たりの悪い敷地に生ごみを毎日入れていくってこともやってみたりした。

なんかとりとめないけど、全くゼロじゃなく、ちょっとだけど触ってる。葉物への虫の害とか、つまり農薬の必要性、それを使わないということ、そういうことも実体験して、考えてる。・・・薄いかもしれないけどサ。

卵や肉の点でダチョウが面白そうだ、とか、鶏を飼ってみたいと調べたりは何度もこれまで。

難しさは分かってるつもりなので、半分農業でどこかで働きながらっていう感じがあってる気がする。投資できるまとまったお金が用意できたらソーラーパネルは是非設置したいな。

隔世遺伝なのだろうか、親の上の世代で鶏やってて、なんかそういうトコでせくせく働く感じが僕にはあってる気がする。なんかね、だけど逃げなのかって僕が僕自身でなんか考えちゃうけどさ。
引きこもりを極めると、自給自足に向かう、と書いてるひとを発見。
まさにそうだ。。。

なんか動機がそのあたりと言えなくもない、、疲れてるッスよ、、
こじらせてるから、、、

しかしすごいな次々たくさん見つかる色々なひと
ネットすごいよな
東京の食肉センターに電話をしたこともあるんだけれど、
実は今までみたことがなかった屠殺
ウチの親は両親とも鶏関係だったのでふたりとも生臭い見たことがあるそうで
それを初めて今ネットで見た。動画。テレビでは放映されない。
やっぱり重たい。命をいただいているのだよな。
大学に通いはじめ一人暮らしで初めて鶏肉を自分で包丁で切ったとき、
生臭い行為に色々考えてしまった。
もちろん小学校のときから家庭科で焼肉のために牛豚を買ってきて調理とかはしてたけど、
肉を切るというコトにもろに感じたのは大学のそのときだった。
以来なれてしまったけれど、やはり屠殺もなれてしまうものなのだろうか
自給自足を考えると、田舎でなきゃ無理だろうが鶏は飼ってみたい。
つまり卵を産まなくなれば・・・ということでもあって。
野菜などと違って凄い抵抗があって今は想像の域でしかないけど、、、
生きている実感がないのもこういうところから来てる、
そう食肉センターの件では思ってのことだったんだけど。
そして僕がしっかりと生きてないこと、人生を誤ってしまっていること、
そういうのもなんか似てるところなんじゃないかって気がする
医療とかは僻地では無理とか、色々あるので、できれば自給的生活も豊橋でやりたいとか思う
なんか何をしても投げ出して逃げてしまうんじゃないかって自分が信じれない状況だけれど。
もう根拠のない自信みたいなのって沸いてくる年齢でもないんじゃないかって思う。
だけれどもホントなんとかしなくちゃだよな
今、自給農業をされてる方のブログを見てて。
なんか同じニオイがして、、ざざっと読んでたら。
鳥居みゆきがスキとな。。。なんか傾向として似てるのかもしれない。。
絶望も希望も、虚妄なんだ。いいこというなぁ
結局、先週以前とかわらないテンションで、6時間ほど過ぎた。
あきらめてお金になる仕事に就いて、結婚して、家族の幸せが欲しいな、と、
またこれまで何度も見てるとおり、就農とかで検索してる自分。
でも、やっぱり農業って大変で、結婚も難しい職種で・・・
なんで辛い方にばかり自分は向いてしまうのだろうって思う
導火線もこの10年の模索の集大成的なものが作れそうな目前で、
色々成果物もこの半年〜1年でできたものもあるけど、
敵前逃亡したいって逃げなのかもしれない。
でも疲れてるのは本当で、もうエネルギーが枯渇してる。
あと今日の6時間くらいは、就農した方の話とかをWEBで見ようかなって思ってる。
なんか正しいネットの使い方だよなこれが。まずはこの半日のふりかえり。
今日も3時間経つケド、なんかいつも通りの展開・・・
とりあえず、いつもPCの電源をつけるとき憂鬱だったんだけど、今日は悪くない。
「今日」の10時間あまりをどう有効に過ごせるか。
悔いを残さないように。

人生がペナントレースみたいなものだとすれば、
もう負け負けの消化試合をどうしようみたいな気分。
でも勝ち負けじゃないから、見方を変えれば違ってくるのは分かってるけど。

でも週末ゆっくりしたおかけが、気分はちょっといいかんじだ。
やせがまんじゃなくそう思えるって素敵。

外は晴れてる。鳥がさえずってる。

新しい1週間、1ヶ月がはじまる。

おはよ。6時か。今日から11月。
なんか、また内藤光春の1日が始まると思うと気が重い。

昨日の朝、UPSのブザーがなった。時々なぜかなる。
リセットするととまるんだけど一旦サーバの電源を落とすことになる。
で、昨日はそのまま電源をいれず、また寝た。今もサーバの電源入れてない。

一昨日と昨日と、本当ゆっくりできた。無理は無理なんだな。休むってすてき。
目を酷使してるという感じがあって、テレビを見てはいたけどだいぶ休まった気がする。

さあ、どんな1日にしようか?どんな1週間にしようか。
優雅だよねある意味。すべきことが決まっていない。
でもすべきことが決まっていることが充実の度合いになるとも思う。責任を果たし信頼されること。

今年はあと2ヶ月となった。今年いっぱい、って一応決めてる。妥当だよな。
だとしても何らかの形で続けていきたいとも思ってるけど、だいぶ違う形かもしれないしわからない。
とにかく言えるのは、もう僕は疲れてるってこと。中途半端にしかできない情けない状態のまま。

土日、ゆっくりできた。気持ちも新たに、また1週間、どんなにできるか頑張ろう。

2010/10/31

今日も一日が終わる。今日は雨だった。

昨日に続いて今日も、納得行くまでダラダラした。
これだよ。これが必要なんだよ。

なんか本当に中途半端にダラダラと取り組むから、結果も中途半端になるんだ。
メリハリ。

っても、今日も外に出れなかった。ちょっと病だな。
曙の湯いかなきゃ。ってかいかなきゃ、じゃないけどね、いくべきとか何だけど。

とりあえず昨日今日リフレッシュできた。
んな場合じゃないだろ?というのはなし。

つらい現実。やれることからやっていこう。
さあ寝ようか。雨音が優しく聞こえる。
おやすみ
目が覚めた。

なんか昔を振り返ると、いろいろなことが精一杯だったんだけど、見方を変えると色あせて見える
本当にまわしていくだけで精一杯だった。よくがんばってたと思うけど。

人の評価ってよくしたもので、やっぱり僕が成功できてないのは、合理的な理由があると思う。
今考えても導火線自体は凄い仕組みというか方法だと思うし、それなりに頑張ったけど、
あと一歩足りなかった。

たまに助言をいただくことがあって、今おもえば万金の言葉だったようにも思う。
毎日配らなくてもいいんじゃないか、とshutさん
あるいは、サンタはやめたほうがいい、とか、いろいろ

結局アルバイトながらも仕事しながら毎日4時間配布と編集印刷数時間、
まわすだけで精一杯、、、そのなかでPHPとか勉強無理で、やっぱりPHP覚えたのも導火線を休刊してた期間だったり。
鯖もPGSQLやそのほかのことも、やっぱり時間をとって取り組まないと土台無理だった。
ただ、2003年頃からネットにシフトする手もあったし、技術も習得してたのに、
そこで紙に固執したり、写真をとることに狂ったりしたのが見誤ってたなと思う。

既に当時からやってたように、イベントの部分をこそ、ずっと追求してれば本当に価値のあるところにたどり着けたと思う。
だから、僕がやり残してるのはそういうあたりで、実際、今やってるのはそういうあたり。

webの開発者企画者が疲弊してる、って書いてるライターさんがいたけど、本当にそうだと思う。
10年。webの10年は大半むくわれない10年で、たぶんこの先も同じ。
ライター稼業が薄給で食えないのと同じく、ソフトウエア開発も同様の薄給のおもむきがあるという。
iPhoneのアプリ開発の悲惨そうな現状とかは典型で、結局うまくやってるのはアップルだったり。
これは構造的な問題なんだ。

ふう。

前からずっと思ってた事。こう何度も書いてる気がしてたけどそうでもなくて、
それを改めて書いてみると自分の中で整理できて、浄化される感じがする。
人は言葉に生きてるんだな、って思うところでもある。
そしてやっぱり、文字数要るなあっても思う。
140文字では無理。
内容は同じで、つまり、誰が読むでもない散文なんだけれど、書く行為にこそ意味があって。

全く未知なことに取り組むということは本当にリスキーで、
そのリスクの高さに怖いもの知らずの若さで体当たりして玉砕、そんな感じかなともかく。
だから、なんか昔を思い返すと鬱だったりあるけど、仕方のないことで、、、
僕は、結果を受け入れると同時に、もっと自分をせめて自分だけは肯定しなきゃいけないって思ったりもする。
悲惨だって思えば悲惨で、なんか悪口も言われてる気がして鬱だけど、
結構みんな裏表なところで、紙一重で、仕方のないところで、
結局みんなにとって人生の仕事って、家族の輪を世代にわたってつなげていくっていう大仕事だけって気もする究極。
ご先祖様が続けてきた偉業。
偉人が何かを残してきたことも歴史の事実だけど、同じくらい、命のたすきをつなげてきたことって偉業だなって。

2時に目が覚めてトイレ行ってから書き始めて今3時半過ぎ、
また寝て7時過ぎ頃か明日もまた
結局昨日はゆっくりできた。凄い久しぶりに自分に優しくできた。
僕は見当違いのストイックが無駄の連続だったりして、そこが本当に情けなくて駄目駄目だったり、
この調子じゃ本当に駄目なまま駄目が加速していくだけ
でも日付かわって今日か、日曜日、またゆっくりして、自分と向き合ってみよ、って思う。
本当に疲労困憊で、それは支離滅裂な面もあって、滑稽だけど僕の事実で。

縁あった人と、幸せな関係を築けたかっていうと本当に鬱で、駄目駄目なんだけど、
縁あった人に、全部ひっくるめるとよかったなと多少なり思ってもらえるようにしたいっていう野望ささやかながら難しく
昔をひきずると、無理が無理を呼び、無理を重ねる感じになっていくな、っていう学びもあるけど、
僕は元来頑固で不器用で適当でだけどがんばりやで
根っこの部分はきっとこのままだから、僕は僕を受け入れて、最善を尽くしていかないといけない
時間はもう逼迫してる

今からでも幸せになりたいよ。
納得のいくことになら努力は惜しまないひと頑張れる人なんだよ僕は
さあ、、、日曜またゆっくりして、そうだな今度こそ曙の湯に久しぶりに行ってゆっくり湯船につかりたいな
ちゃんちゃらおかしいかもしれないけど、僕は疲れているから、必要な事で、
いいんだよ。こんななのだから。

寝るとき耳栓して寝るんだけどこれ本当にいいかんじ。
いまバイクが外で暴走してる音聞こえるけど、耳栓で軽減されてて
これがまた深い眠りによいのだよ。

さあさ さあさ ゆっくりしようまた寝よう
そうさ僕はわかってる僕は疲れきってるから動けなくなっちゃったんだよ
迷惑をかけてしまってるひとにはすまないと思う
恩返しできるためにも英気をやしなわなきゃ そういう現実なんだから

じゃあ おやすみまた明日